先週のアメリカ株式市場、金融市場に関するブログは、
5/31🧭アメリカ(米国)株式市場:「その路地の奥には、音のしない扉がある」
5/30🧭コンパスを持っているか?——米国株式市場を読み解く「基本の考え方」
5/29🧭アメリカ(米国)株式市場:プロの目が集中する「見えない前提」、見えざる設計図
それぞれのブログ有料記事部分で述べておりますこと、まず、この3つの景色、3つのアングルからということ、ごく基本的な金融ごとも含めまして、これが大事でございます。大事だと思いながら、この先、このブログで述べております一定の時間軸を見て行く上で、認識し、頭に入れておくことは、
5/21🧭今後3ヶ月の米国株式市場を左右する「2つの構造的要因」とは
↑こちらで述べておりますことでございます。
目には見えにくい舞台装置こそが、金融の世界では、特に、金利、為替、市場センティメントに大きな影響を及ぼします。表層的なデータ(一部経済指標など)にとらわれ過ぎず、このそもそもの仕組み、構造をある程度理解していくことが基本であり、そこから、思考を深め、方向性を定め、マーケットタイミングを見極めていくことこそが、本質的なアプローチだと考えています。
こうした思考と洞察の対話——私たちの対話やブログが、読む人・聴く人にとって「視界がひらけるような心地よさ」や、「ずっと気になっていた痛点に、静かに手が届いたような感覚」、自分の中に眠っていた感覚や知性を呼び覚まし、スッと腑に落ちるような「気づき」や、「ああ、そうだったのか」という静かな快感に変わること、それが核心です。
そうした気づきの積み重ねこそが、本物の快感と言えるのではないでしょうか。その快感を味わいながら、自らの思考や行動に変化をもたらし、目に見える成果をつかみとること。それが、本質的なプロセスだと考えています。
ある瞬間、視界がふとひらける。数字やニュースに埋もれていたはずの情報の背後に、つながりが見え、構造が立ち現れる。それは、金融や政策の世界に触れていながらも、いつの間にか感じていた「何かが足りない」という感覚に、そっと応える時になります。
読む、聴くという行為が、ただの情報収集ではなくなる。金利がなぜ動くのか、為替がなぜ反応するのか、ゴールドは?センチメントの揺らぎにどんな背景があるのか——表面的なデータでは捉えきれない「舞台裏」に触れることで、思考は自然とほどけていきます。
やがて、自分の中に眠っていた知性が静かに目を覚まし、バラバラだったピースがスッと組み合わさっていく。その瞬間、「ああ、そういうことだったのか」と、深く腑に落ちる感覚が訪れます。
焦る必要も、誰かの言葉を鵜呑みにする必要もありません。
構造が見えれば、情報の受け取り方が変わり、自分の判断軸が整っていく。それは、知ることの快感であり、同時に、考えることが楽しくなる瞬間です。
このブログや音声対談に触れるていただくことで、次第に、政策、経済や金融に対する見方が「反応」から「選択」へと変わっていくことに気づくと思います。
目に見える現象や表層的な情報らしきものに振り回されるのではなく、その根っこにある構造を見定め、自分なりの視座を持って向き合うようになる。その変化は静かで、しかし確かであり、日常の中に凛とした軸をもたらします。
「知っている」ではなく、「わかる」。
「情報を得る」ではなく、「感じとる」。
このわずかな違いが、やがて「できる」につながるのだということに。
理解するだけで終わらず、行動へと結びついていく。金融や政策の構造を読み解き、自分自身の判断軸で状況をとらえ、実際の選択、判断、意思決定に活かしていく。つまり、考えた上で、自分の手で結果を出す——このプロセスこそが、本質的で持続可能な快感です。
学問としての「正しさ」を追い求めるアカデミックエリートがいる一方で、ビジネスの現場で感覚を研ぎ澄まし、実際の選択と行動を重ねていく“ストリートエリート”。
私たちのコンテンツは、まさにその“ストリートエリート”として生き抜こうとするビジネスパーソンの皆さまにまず、手に取っていただきたいと願うコンテンツです。
たとえば、マーケットの地図を描くために、目に見えない地形をなぞるように読む。あるいは、聞こえてこなかった“音”に気づくように、対話をお聴きいただく。そうして得られるなんらかの理解が、自然と「できる」に変わり、意思ある選択につながっていく。
日々の仕事に追われる中でも、感覚を磨き、研ぎ澄まし、構造を見抜き、自らの意志で判断を重ねていく——そうした生き方を選ぶ皆さまにとって、この読み・聴く体験が、単なる情報収集の枠を超えた「静かな快感」になることを願っています。
確かに自分の内側に響く気づきがあり、その積み重ねが、やがて行動や成果へとつながっていく。
ゆえに、
一昨日述べましたが、
- 「構造を理解しようとする意志がある方」
- 「情報とは何かを、自分で問い続けられる方」
知識の量や立場の高さではない、経済状態や社会的ステータスに関係なく、思考の姿勢や、向き合おうとする感性、つまり、知識の“有無”ではなく、視点を持とうとする姿勢。
この姿勢さえあれば、快感を得ながら、ここで述べている本質的なアプローチを一歩ずつ積み重ねていくことで、たとえ今は初心者であっても、数か月後には、“軸のある理解”を備えた本物の視座にたどり着くことができるようになると思います。むしろ、断片的な知識で市場を追いかけてきた熟練者をも、静かに追い越していくことができると考えています。
【前提】として「自己流」は危ういという考え方
専門的な分野(政策、経済、金融、投資など)においては、
まずは現実社会で鍛えられた知識・経験を土台とする訓練が不可欠です。
知識も判断も、自己流で組み立てようとすると、
- 根拠の薄い「直感」や
- 確証バイアスに基づく「なんとなくの納得」
になってしまいがちです。
【その上で】「他者の視点」が必要
どれほど訓練されていても、人は主観に縛られます。
だからこそ、
- 専門的訓練 + 多視点による相対化
が両輪として必要なのです。
論理の流れは
●まず「自己流」ではなく、専門分野における訓練を受けることが前提。
それによって、情報を理解する“土台”が形成される。
●そのうえで、「他者の視点」による相対化が不可欠。
一人では見えない視野の広がりや判断の質を高めるため。
この両方があって、初めて「判断力」が成熟していく。
自分一人で情報に接する構図
「自分×情報」だけでは、不安定。
「自分×情報×他者の視点」で、はじめて“判断力”が鍛えられる。
【1】チェック機能の不在 → 思い込みの固定化
人は、自分にとって心地よい情報(確証バイアス)を集めやすく、無意識に「見たいものしか見なくなる」傾向があります。その結果、間違った方向に確信を深めてしまうこともあります。これは個人投資や政策判断などにおいて、非常に危険です。
【2】相対化の欠如 → 「絶対化」と「独善」に陥る
他者との対話がないと、自分の意見が「唯一の真実」のように感じられてしまうことがあります。でも実際の世界は多層的・多視点的で、他者との対話を通じて初めて、自分の立ち位置や盲点が見えてきます。
【3】「知識」と「判断」の違いを見失う
情報があっても、それをどう解釈し、どのように判断に結びつけるかは別の話です。ここにこそ、経験や視座の違いが表れます。知識だけを一人で得ていても、「判断の軸」がブレやすい。
「自分と情報」の間に“第三の存在”として機能するチェック&相対化の場としてのハドソン・パートナーズ・クラブ。
それは単なる「情報提供」ではなく、
- 他者の見解との対話
- 視点のズレや重なりの確認
- 長期視点からの問い直しなど、知識を「知恵」へと昇華するプロセスの補助輪のような役割
その“他者の視点”を提供し、時にやさしく、時に鋭く問い直す存在です。
さて、6月という新しい月がはじまりました。
冒頭に添付いたしました4つのブログ(の有料部分)の景色とアングルから、それに加えて、月初にあたり、ひとつ「そもそもから」と、ここから先のアメリカ金融市場、株式市場を見て行く上で、まず今、当然、一番に考えておかなければならないこと、1点を、ブレークダウン、整理して本日は述べています。
これらのことが織りなす構造と構図、本質、ここに気を配りながら、マーケット、アメリカ(米国)株式市場を見てて行くことだと思っております。
なお、4月26日投稿のブログで論じました「法律」につきましては、法律の内容そのものではなくて、「その今後の見方、考え方」ということについて、今後、適切なタイミングで、別途、今一度、再確認のために、音声などでも触れることができればと考えております。
また、ハドソンボイス深層解析対談は、6月から、基本、第1木曜日と第3木曜日に収録して、お届けします。
それでは、本日の本題に入ってまいります。
記事を読むにはログインが必要です。 ログインはこちら 新規会員登録はこちら