🧭11/28 本稿の立場――制度批判ではなく・専門家としての構造分析:判断力を取り戻すために
これは政治的批判ではまったくなく、専門家としての冷静な構造分析です。
お役所の国会答弁でも資料でも、次の点は明確に述べられています。
・NISA(少額投資非課税制度)はあくまで「資産形成の入口」にすぎない
・投資家教育が十分ではない
・判断力の格差が市場に存在する
・長期・積立・分散は“最低限の提案”であり、すべてではない
制度を擁護するだけではなく、その限界を補完するための“投資家教育の重要性”を語ることは、むしろ大切な姿勢でもあると認識していることがこの記事を記す前提にあります。
日本国では、「長期・積立・分散」が資産形成の王道として広く浸透しています。しかしその背景には、いくつかの構造的な事情があります。
まず、給与が上がりにくい環境のなかで、多くの人が資産形成そのものを“投資に頼らざるを得ない状況”に置かれています。
いっぽうで、学校でも社会でも、本格的な投資教育を受ける機会はほとんどありません。
投資判断の基礎となる知識や思考のプロセスを学ぶことなく、いきなり市場に向き合わざるを得ないわけです。
さらに、長期で見ても日本の株式市場はアメリカ(米国)株式市場に比べて力強さを欠く局面が多かったため、「短期で売り買いするのは危険だ」という固定観念が形成されやすかったという歴史的背景もあります。
こうした状況が重なり、“判断をせずに機械的に積み立てることこそ安全で正しい”という考え方が、ある種の“美徳”として受け入れられやすくなっています。
しかし、ウォール街の発想はまったく異なります。
そこでは、市場は常に変動し、景気サイクルや政策、流動性がダイナミックに循環しているという前提に立ちます。
何を、どのタイミングで、どのリスク量で持つのか。
判断することそのものが投資の本質であり、むしろ避けては通れないプロセスと捉えられています。
もちろん、判断に自信の持てない人にとって、積立という方法が“ひとつの有効な処方箋”であることは確かです。
ただ、それは“判断能力がない投資家”を前提にしたものではありません。
むしろ、判断するために必要な材料や経験が得られないまま市場に立つことを余儀なくされた人が多い、という構造的な背景の結果といえます。
言い換えれば、
日本では「判断しない投資」が生まれる環境が整ってしまった。
ウォール街では「判断そのもの」が投資の中心である。
この認識の差は、非常に大きいものです。
私たちは、この“認識の非対称性”こそが、投資理解の深まりを妨げている根本的な問題だと考えています。
だからこそ、表面的な推奨ではなく、政策と市場の本質を理解し、自ら判断できる力を身につけることが、長期的には何よりも重要なのです。
とはいえ、ここで言う「判断力の欠如」は、必ずしも個人の怠惰や性格に帰せられるものではありません。
むしろ、構造的な背景――情報の非対称性、教育機会の偏在、歴史的に形成された投資観――が、人々を“考える前に型に収まる行動様式”へと誘導してきた側面が大きいのです。
つまり、ここでほんの少し問題視しているのは「考えようとしない人」ではなく、「考えるための基盤が与えられなかった環境」そのものです。
その結果として、“判断しない投資”が暗黙の標準解として広がり、投資そのものが「自分で考える行為」から遠ざけられてしまったのです。
ゆえに、ハドソンボイス深層解析対談では、経済・政策・金融市場の背後にある「構造」と「意図」を解きほぐし、単なるニュース解説では到達できない“判断のための基盤”を提供することを目的としています。
私たちは、マーケットの動きの説明だけではなく、その背景にある政策当局の思考、流動性の変化、国際政治の力学、資本の流れといった“判断に本当に必要な材料”を徹底的に掘り下げています。
それによって、表層ではなく深層から市場を理解し、自らの頭で考え、判断し、行動できる投資家・ビジネスリーダーの皆さまが増えていくこと。
これこそが、ハドソンボイス深層解析対談のひとつのポイントです。

自己責任論とは――プロセスを尊重し、判断力を育む文化
私たち二人は、長年にわたり欧米社会と深く関わりながら仕事をしてきました。
そこでは、成果を上げた人を率直に称え、その努力や能力に敬意を払う文化が根づいています。成功者を見て「きっと陰の努力や特別な工夫があったのだろう」と敬意を向ける姿勢こそ、健全な社会における自己判断と自己責任の基盤となっています。
私たちが仕事を通じて接した欧米の文化では、個人が自らの判断で行動し、その結果に責任を持つことが当然とされています。成功や失敗の評価は、結果だけでなく、そこに至るプロセスや意思決定の質に基づいて行われます。このプロセス重視の考え方は、個々人の成長を促し、他者の成果から学ぶ前向きな視座を育てます。
いっぽうで、他者の成功に対して「何か不正やズルがあったのでは」と、まず疑念や批判から入る文化も存在します。そこでは、成果の正当性を外部に委ね、主体的な判断や行動の機会が奪われやすくなります。妬みや嫉みを出発点とした評価は、健全な競争意識の育成を妨げ、結果として自己判断・自己責任の意識を希薄化させかねません。
私たちが重要視するのは、結果そのものではなく、その結果に至るプロセスを尊重し、判断や選択の積み重ねに敬意を払う文化です。成功者を正しく評価することは、単に他者を称える行為にとどまらず、自らの学びや成長の機会を広げることにもつながります。「誰かの成功は、自分の可能性を広げてくれる」という前向きな認識が、健全な個人の基盤を形成します。
この考え方をもとに、私たちは価値ある洞察を共有する場において、互いの判断や経験を尊重し、心からの敬意と感謝をもって皆さまをお迎えしています。自己責任論とは、他者を攻撃するための道具ではなく、判断力と行動力を健全に育む文化の土台である、と私たちは考えています。


